とりあえず、僕が制作に携わっている映画第二弾!Happy Feet 2の紹介です。
公開前の予告編第1弾! 全米公開は11月公開予定です。
Happy Feet 2 Teaser Trailer (OFFICIAL)
色々な理由で相当、尺が短いですが。。。楽しんでいただければ(^^;
2011年5月27日金曜日
2011年5月21日土曜日
【CG】 My Goal and My Terminal
さて、Rootsと題して、過去に僕に影響を与えた作品、人物、会社をさかのぼって紹介してきましたが、今回は僕のゴール、最終目標について紹介したいと思います。
結論から言えば、僕の最終目的地は日本です。海外で色々な知識、技術を身につけて日本に帰国する事です。
ただ、帰国するまでにどうしても経験したいと思っているのが、ニュージーランドWETAでの就労。もしくは米西海岸の大手プロダクション(PIXER、DISNY、ILM、DD、DW、R&H、SPIなど)での就労です。
世界でもトップレベルのアーティストが集うプロダクション、世界最先端のパイプライン、作業環境!これらを何とか一度でも経験したい!経験してから帰国し、それらの技術、知識を還元したいと言う思いがあります。
希望が叶うかどうか解りませんが、僕自身は海外武者修行のゴールをWETA、もしくは米西海岸の大手プロダクションを目標にしています。ただ、こればかりは相手があることなので、将来どうなるかわかりませんがw
Rootsでは、僕自身は現場で働き続けたいという思いがあると書きましたが、今もその思いは変わりません。ただ、将来的には現場は現場でも、いちアーティストではなくCGスーパーバイザー(現場レベルでの最高責任者)という地位を日本で目指したいと考えています。
CGスパーバイザーは各デパートメントのスーパーバイザーと密にコミュニケーションを取りスケジュールやクオリティなどを現場を総指揮する職種です。また、テクニカル部門とも密に連携してツールの作成、ワークフロー、パイプラインの構築などにも責任を負います。
こういった重要な職種を担うには、僕自身、まだまだ技術、知識、経験が不足していると思っています。
そして、僕自身、技術者として最高の職場で働きたいという願望があります。だからこそ、今は現場にこだわって、色々な技術、知識、経験を身につけたいと思っています。
自分自身が技術者として納得するまで経験を積んだ上で、また違った形で現場に留まることが出来れば!
これは僕の主観ですので、日本で働いている方々には申し訳なく思うのですが、日本でそういった職についている人の多くは、技術はともかく、知識不足、経験不足だというのを身を持って実感しています。
僕は日本国内だけで得られる技術、知識、経験には限界があると考えています。だからこそ、僕は多くの人に海外就労を勧めてきました。
(もちろん、日本でしか経験できない良い点も多々あります)
僕も含めてですが、海外で働いている多くの人は、Visaの問題で最終的には帰国を余儀なくされるでしょう。将来、そういった人たちが帰国して、働ける環境を作る事が出来れば!!!そういった環境を作る事が僕の日本での目標です。
そうした環境を築く事が出来れば、僕自身が人生の目標にしている、日本での仕事と家族との両立も出来るのではないか?っと勝手に妄想している訳なのですが。。。。
実際にこれらを成し遂げるのは非常に困難だとは思っています。もしかすると、理想で現実的には日本では不可能なのかもしれません。
ただ、何もしなければ何も状況は変わらないし、僕自身は常に前進したいと考えています。
現段階では、まだまだ武者修行の途中段階です。目標にはまだまだ程遠いです。それでも、とにかく前進あるのみ。日々精進です!!!!目標に向かって!!!!!!
結論から言えば、僕の最終目的地は日本です。海外で色々な知識、技術を身につけて日本に帰国する事です。
ただ、帰国するまでにどうしても経験したいと思っているのが、ニュージーランドWETAでの就労。もしくは米西海岸の大手プロダクション(PIXER、DISNY、ILM、DD、DW、R&H、SPIなど)での就労です。
世界でもトップレベルのアーティストが集うプロダクション、世界最先端のパイプライン、作業環境!これらを何とか一度でも経験したい!経験してから帰国し、それらの技術、知識を還元したいと言う思いがあります。
希望が叶うかどうか解りませんが、僕自身は海外武者修行のゴールをWETA、もしくは米西海岸の大手プロダクションを目標にしています。ただ、こればかりは相手があることなので、将来どうなるかわかりませんがw
Rootsでは、僕自身は現場で働き続けたいという思いがあると書きましたが、今もその思いは変わりません。ただ、将来的には現場は現場でも、いちアーティストではなくCGスーパーバイザー(現場レベルでの最高責任者)という地位を日本で目指したいと考えています。
CGスパーバイザーは各デパートメントのスーパーバイザーと密にコミュニケーションを取りスケジュールやクオリティなどを現場を総指揮する職種です。また、テクニカル部門とも密に連携してツールの作成、ワークフロー、パイプラインの構築などにも責任を負います。
こういった重要な職種を担うには、僕自身、まだまだ技術、知識、経験が不足していると思っています。
そして、僕自身、技術者として最高の職場で働きたいという願望があります。だからこそ、今は現場にこだわって、色々な技術、知識、経験を身につけたいと思っています。
自分自身が技術者として納得するまで経験を積んだ上で、また違った形で現場に留まることが出来れば!
これは僕の主観ですので、日本で働いている方々には申し訳なく思うのですが、日本でそういった職についている人の多くは、技術はともかく、知識不足、経験不足だというのを身を持って実感しています。
僕は日本国内だけで得られる技術、知識、経験には限界があると考えています。だからこそ、僕は多くの人に海外就労を勧めてきました。
(もちろん、日本でしか経験できない良い点も多々あります)
僕も含めてですが、海外で働いている多くの人は、Visaの問題で最終的には帰国を余儀なくされるでしょう。将来、そういった人たちが帰国して、働ける環境を作る事が出来れば!!!そういった環境を作る事が僕の日本での目標です。
そうした環境を築く事が出来れば、僕自身が人生の目標にしている、日本での仕事と家族との両立も出来るのではないか?っと勝手に妄想している訳なのですが。。。。
実際にこれらを成し遂げるのは非常に困難だとは思っています。もしかすると、理想で現実的には日本では不可能なのかもしれません。
ただ、何もしなければ何も状況は変わらないし、僕自身は常に前進したいと考えています。
現段階では、まだまだ武者修行の途中段階です。目標にはまだまだ程遠いです。それでも、とにかく前進あるのみ。日々精進です!!!!目標に向かって!!!!!!
2011年5月15日日曜日
【CG】 gShader for MentalRay sample images
さて、このところRootsシリーズが続いたので、今日はちょっと横道にそれて、gShaderのsample imagesのご紹介♪
リリースしたものの、どれぐらいのクオリティが出て、どれぐらいのパフォーマンスか?っていうのが解りづらかったと思うので、僕の方でsample imagesをレンダリングしてみました。
とりあえず、ネットで拾ってきたフリーのHDRIを使用して色々な環境でレンダリングして見ました。
(画像クリックで拡大画像見れます)
更に高解像度5120*2048はこちら
リリースしたものの、どれぐらいのクオリティが出て、どれぐらいのパフォーマンスか?っていうのが解りづらかったと思うので、僕の方でsample imagesをレンダリングしてみました。
とりあえず、ネットで拾ってきたフリーのHDRIを使用して色々な環境でレンダリングして見ました。
(画像クリックで拡大画像見れます)
更に高解像度5120*2048はこちら
gShaderとモデル、テクスチャー、環境マップさえあれば、誰でもこれぐらいのクオリティは出せる設計になっていますので、ご興味ある方はぜひぜひ、お試しあれ!!!
【モデルモチーフ/メガゾーン23・ガーラン=ドEX】
Size:1024*1024 RenderTime: 4m30s(Average)
ついでにTurnTableも作ってみましたが。。。。bloggerの圧縮でディティールが。。。orz
Size:720*720 RenderTime: 4min(Average)
OS:Windows XP SP3(32bit)
CPU:Core2 Duo 2.4ghz
RAM:2GB
MAYA 2011
うちの非力なマシンで4分程度なので、今の最新PCであれば、もっと早くレンダリング出来ると思います。
モデルが黒いので、モニタによってはディティールが潰れて確認できない方はこちらの高解像度の静止画にてご確認ください。
個人的にはテストのサンプルとしてそれなりの出来に仕上がったと思いますので、もし興味ある方は下記のWebからDLして、Let's try!!です!
2011年5月8日日曜日
【CG】 Roots 会社-スクウェア編 最終回
さて、今回はいよいよRoots 会社編 最終回(長文)です!!!僕がVWの研究開発チームと一緒にShader開発に従事していた頃です。僕に大きな影響を与えたエンジニアさんと出会いました。それはgShaderの開発者でもあるryuさんとの出会いです。お互い社内での交友はあったのですが、一緒に仕事をしたのはこの研究開発チームに合流してからだと思います。
ryuさんはフランスでの就労経験を持ち、僕に海外での就労や技術、特にShaderやRenderingに関する多大な知識を与えてくれました。おそらく、このryuさんとの出会いが、僕に海外を意識させるきっかけになったのだと思います。
その後、しばらくして僕は結婚、出産という転機を迎えます。以前のエントリでも紹介したと思いますが、この転機が僕の生活を一変させました。仕事中心の生活が家庭中心の生活へ。この時、僕は会社の正社員で制作現場(某プロジェクト)ではモデリングチームのリードと言う立場でした。本当なら会社を優先させるべき立場だったのかもしれません。。。
しかし、僕の中で、常にこのままで良いのか???という葛藤がありました。P先輩はモデリングチームのスーパーバイザーという立場でもあり、今まで通り会社、仕事中心の考え方でしたが、結婚、出産した僕に色々と気は使ってくれていたと思います。。。それを僕自身、解ってはいたのですが。。。
それでも、僕とP先輩との考え方に徐々に溝が生まれてきました。。。。
そんな時です。僕がスクウェアでの時間のあり方について考えさせられる出来事が起きたのは。。。
子供が生まれて首が据わり、ハイハイを徐々にはじめて、つかまり立ちをし始める頃まで、ずっと僕は某プロジェクトの車をモデリングしていたのですが、一向にFIXしませんでした。もちろん、僕の力不足というのもあったのですが、子供があっという間に成長していくのに対して、僕は車のモデリング一つ仕上げられない。。。子供の成長とは裏腹に、自分がまったく成長していないような錯覚に陥りました。。。
錯覚では無く現実かも知れませんが。。。。(^^;
そして、僕は自分の技術が未熟なのも解っていたし、そんな未熟な僕が現場を離れ、徐々に他人を管理するという立場を強いられて居たのも、葛藤の原因の一つかも知れません。もちろん、管理職を拒絶するという権利もあったのですが、給料や日本での今後の生活を考えれば、管理職になるしかないのかなと自分に言い聞かせていましたが。。。自分の気持ちに嘘はつけませんねw
家庭と仕事の両立を目指したい、現場に留まりたいという自分の気持ちとは裏腹に、管理職をしなければ行けない現実と事情。徐々に自分の中でフラストレーションが溜まってきました。。。。
そして、自分の携わっているプロジェクトは一向に前に進まない。他の海外メーカー、映画会社などはコンスタントに大作を毎年繰り出してくるのに対して、僕たちは足踏み状態。。。。
(僕がこのプロジェクトに携わっている間に、トランスフォーマー1、2が公開され、アサシングリードなど大作ゲームのムービーも続編が次々と出されていました。。。。)
国内映画ですら、僕が一つのプロジェクトに携わっている間に大作映画を完成させていきました。
(林さんや帆足さんが携わった、山崎監督のALWAYS 3丁目の夕日、続・ALWAYS 3丁目の夕日など)
家族と過ごせない、多大な時間を犠牲にしているのに、自分は何も成長していないっと確信した瞬間かもしれません。そんな中、同期ではputonさんが海外転職のためVWを去り、鈴木卓矢くんも後を追うよ海外へと出て行きました。
僕は先輩から「充実した仕事、金銭、仕事と家庭の両立全てを満たすのは理想で、どれかを犠牲にしないと無理だよ。」とアドバイスを受けましたが、実際に海外のアーティストはそれらを実現させています。
それから、僕はVWでも数少ない妻子持ちの先輩たちに物事を相談する事が多くなりました。
そして、僕は海外への道を模索し始めたのです。。。
同時に、プロジェクトの途中で、お世話になったディレクターやP先輩、僕を慕ってくれていた(?)後輩たちを置いて会社を去るのか?という悩みもありましたし、この時点では僕自身、プロジェクトを最後までやり遂げてから、会社を去りたいという気持ちもありましたから。
この時期は、本当に常に何かと葛藤していた記憶しかありませんねw
そんな中、会社の都合もあり、僕は携わっていたプロジェクトを一旦離れて、キングダムハーツバースバイスリープのムービー部分のsets&propsスーパーバイザーという仕事をすることになりました。
この頃からですね、FF13に携わっていた、幾人かの優秀な人たちがVW去らざるをえなくなり(理由は読者の方のご想像にお任せします。)、会社の都合もあり、僕の携わっていたプロジェクトも一時中断せざるをえなくなりました。
このプロジェクト一時中断と会社からの希望退職者募集という出来事が、僕の海外転職を決定つける出来事になりました。結局、僕はいつ再開されるかもわからないプロジェクトと自分の欲求を天秤にかけて、自分の欲求を優先させたのです。
そしてAnimal Logicからのオファーをきっかけに、お世話になったP先輩との溝は決定的な物となり、お世話になった人たちに多大な迷惑をかけることを承知の上で、KH BBS終了と同時に会社を去る決意をしました。
正直、僕の退社の仕方は、決して良い退社の仕方ではなかったと思います。どちらかと言えば恩を仇で返す類の物なのかもしれません。
それでも、僕は自分自身の決断は間違いではなかったと確信していますし、後悔もしていません。実際に海外に出たことで、自分の知識と技術は向上し、一時的ではる物の家庭と仕事の両立を実現する事も出来たのですから。
今は育児の関係でシドニーと日本の二重生活で、結果的に家族を犠牲にしてしまっていますが、次の転職先が海外であれ国内であれ、妻子も同行を承諾してくれています。そういう意味では、これからが僕たち家族の理想に向かった本当のスタートなのかもしれませんね。
今回はかなりプライベートに近い部分まで詳細にお伝えしたのは、僕と同じような悩みを持った人が、業界には大勢居るのでは?っと思い、そういった人たちの参考になれば!また、僕自身も帆足さんや林さんのように良い意味で他の方に影響を与えられるような存在になれればと思い、今回のエントリを書かせて頂きました。
逆に、こうした記事を書くことで、色々な人に迷惑が掛かってしまうかもしれないのですが(^^;
今回は僕のRootsについて描いていきましたが、それじゃ、僕の終着点、目標は?という事で!
次回は僕のゴール、終着点、目標について紹介して行きたいと思います。
読んでくれた方、長々と駄文を読んでいただきありがとうございました(笑
ryuさんはフランスでの就労経験を持ち、僕に海外での就労や技術、特にShaderやRenderingに関する多大な知識を与えてくれました。おそらく、このryuさんとの出会いが、僕に海外を意識させるきっかけになったのだと思います。
その後、しばらくして僕は結婚、出産という転機を迎えます。以前のエントリでも紹介したと思いますが、この転機が僕の生活を一変させました。仕事中心の生活が家庭中心の生活へ。この時、僕は会社の正社員で制作現場(某プロジェクト)ではモデリングチームのリードと言う立場でした。本当なら会社を優先させるべき立場だったのかもしれません。。。
しかし、僕の中で、常にこのままで良いのか???という葛藤がありました。P先輩はモデリングチームのスーパーバイザーという立場でもあり、今まで通り会社、仕事中心の考え方でしたが、結婚、出産した僕に色々と気は使ってくれていたと思います。。。それを僕自身、解ってはいたのですが。。。
それでも、僕とP先輩との考え方に徐々に溝が生まれてきました。。。。
そんな時です。僕がスクウェアでの時間のあり方について考えさせられる出来事が起きたのは。。。
子供が生まれて首が据わり、ハイハイを徐々にはじめて、つかまり立ちをし始める頃まで、ずっと僕は某プロジェクトの車をモデリングしていたのですが、一向にFIXしませんでした。もちろん、僕の力不足というのもあったのですが、子供があっという間に成長していくのに対して、僕は車のモデリング一つ仕上げられない。。。子供の成長とは裏腹に、自分がまったく成長していないような錯覚に陥りました。。。
錯覚では無く現実かも知れませんが。。。。(^^;
そして、僕は自分の技術が未熟なのも解っていたし、そんな未熟な僕が現場を離れ、徐々に他人を管理するという立場を強いられて居たのも、葛藤の原因の一つかも知れません。もちろん、管理職を拒絶するという権利もあったのですが、給料や日本での今後の生活を考えれば、管理職になるしかないのかなと自分に言い聞かせていましたが。。。自分の気持ちに嘘はつけませんねw
家庭と仕事の両立を目指したい、現場に留まりたいという自分の気持ちとは裏腹に、管理職をしなければ行けない現実と事情。徐々に自分の中でフラストレーションが溜まってきました。。。。
そして、自分の携わっているプロジェクトは一向に前に進まない。他の海外メーカー、映画会社などはコンスタントに大作を毎年繰り出してくるのに対して、僕たちは足踏み状態。。。。
(僕がこのプロジェクトに携わっている間に、トランスフォーマー1、2が公開され、アサシングリードなど大作ゲームのムービーも続編が次々と出されていました。。。。)
国内映画ですら、僕が一つのプロジェクトに携わっている間に大作映画を完成させていきました。
(林さんや帆足さんが携わった、山崎監督のALWAYS 3丁目の夕日、続・ALWAYS 3丁目の夕日など)
家族と過ごせない、多大な時間を犠牲にしているのに、自分は何も成長していないっと確信した瞬間かもしれません。そんな中、同期ではputonさんが海外転職のためVWを去り、鈴木卓矢くんも後を追うよ海外へと出て行きました。
僕は先輩から「充実した仕事、金銭、仕事と家庭の両立全てを満たすのは理想で、どれかを犠牲にしないと無理だよ。」とアドバイスを受けましたが、実際に海外のアーティストはそれらを実現させています。
それから、僕はVWでも数少ない妻子持ちの先輩たちに物事を相談する事が多くなりました。
そして、僕は海外への道を模索し始めたのです。。。
同時に、プロジェクトの途中で、お世話になったディレクターやP先輩、僕を慕ってくれていた(?)後輩たちを置いて会社を去るのか?という悩みもありましたし、この時点では僕自身、プロジェクトを最後までやり遂げてから、会社を去りたいという気持ちもありましたから。
この時期は、本当に常に何かと葛藤していた記憶しかありませんねw
そんな中、会社の都合もあり、僕は携わっていたプロジェクトを一旦離れて、キングダムハーツバースバイスリープのムービー部分のsets&propsスーパーバイザーという仕事をすることになりました。
この頃からですね、FF13に携わっていた、幾人かの優秀な人たちがVW去らざるをえなくなり(理由は読者の方のご想像にお任せします。)、会社の都合もあり、僕の携わっていたプロジェクトも一時中断せざるをえなくなりました。
このプロジェクト一時中断と会社からの希望退職者募集という出来事が、僕の海外転職を決定つける出来事になりました。結局、僕はいつ再開されるかもわからないプロジェクトと自分の欲求を天秤にかけて、自分の欲求を優先させたのです。
そしてAnimal Logicからのオファーをきっかけに、お世話になったP先輩との溝は決定的な物となり、お世話になった人たちに多大な迷惑をかけることを承知の上で、KH BBS終了と同時に会社を去る決意をしました。
正直、僕の退社の仕方は、決して良い退社の仕方ではなかったと思います。どちらかと言えば恩を仇で返す類の物なのかもしれません。
それでも、僕は自分自身の決断は間違いではなかったと確信していますし、後悔もしていません。実際に海外に出たことで、自分の知識と技術は向上し、一時的ではる物の家庭と仕事の両立を実現する事も出来たのですから。
今は育児の関係でシドニーと日本の二重生活で、結果的に家族を犠牲にしてしまっていますが、次の転職先が海外であれ国内であれ、妻子も同行を承諾してくれています。そういう意味では、これからが僕たち家族の理想に向かった本当のスタートなのかもしれませんね。
今回はかなりプライベートに近い部分まで詳細にお伝えしたのは、僕と同じような悩みを持った人が、業界には大勢居るのでは?っと思い、そういった人たちの参考になれば!また、僕自身も帆足さんや林さんのように良い意味で他の方に影響を与えられるような存在になれればと思い、今回のエントリを書かせて頂きました。
逆に、こうした記事を書くことで、色々な人に迷惑が掛かってしまうかもしれないのですが(^^;
今回は僕のRootsについて描いていきましたが、それじゃ、僕の終着点、目標は?という事で!
次回は僕のゴール、終着点、目標について紹介して行きたいと思います。
読んでくれた方、長々と駄文を読んでいただきありがとうございました(笑
2011年5月2日月曜日
【CG】 Roots 会社-スクウェア編 後編
さて、今回も僕のRootsについての続きです。プロジェクトが変わったことで、僕を取り巻く環境も大きく変わりました。FF12までは教えてもらう立場だったのが、FF13を経てプロジェクトが変わり、教えてもらう立場から自分が教える立場に変わっていきました。
この時「腐ってても自分が損するだけ出し、誰にも良い事はないよ。」っと言ってくれたのはP先輩でしたね。それからですね、僕の気持ちが再び奮い立ったのはw
そして契約形態も契約社員から正社員へと変わったのも、この時期だったと思います。
そんな中、僕が新しいプロジェクトに携わる前に、僕の概念、考え方を大きく成長させてくれたイベントが行われました。林隆之さんのTexture講座(名前はうる覚え。。。)です。この林さんの講座を聞いて、僕のモデリング、テクスチャーに関する考え方、概念は大きく成長することが出来ました。実際に自分でも目に見えてモデリングやテクスチャーのスキルが向上したのがわかったほどです。この講座(林さんと一緒に仕事をしなかったら)が無ければ、今の僕は無かったかもしれません。それほど僕にとって有意義な講義でした。
そんな林さんの講座を受けて、しばらくしてからのことです。帆足剛彦さん(PicaPixsels)と一緒にPhotoShopWorldという、Addbe主催のイベントでPhotoshopの使い方について、講演することになったのです。これは林さんの教えを多くの人に伝えるチャンスだ!!っと僕は思いましたねw
そんな林さんの教えを受け継いだ(受売り)TIPSがこちらです。
Texture Mapping 基本編
Texture Mapping 応用編
この時、帆足さんとはすでに面識も交友もありましたが、VWで実際に仕事で絡むことはほとんど無かったので、今考えるとスクウェア時代に一緒にやった最初で最後の仕事かも知れないですね。
帆足さんは僕と同じ職種のモデラーでしたが、僕とは正反対のタイプといって言いと思います。同じメカ好きではあるのですが(笑
僕はどちらかと言えば理詰めで仕上げていくタイプなんですが、帆足さんは自分のセンスと経験で仕上げていくタイプでしょうね。僕は芸術的なセンスという部分では、人並み程度だと自己分析しているので、こういったセンス溢れるモデラーさんというのは初めてでした。それだけに今でもモデラーとして尊敬できる良い先輩。同じ妻子持ちでもあるし、色々と公私共にお世話になってます。
そして、もう一人VWにメカ好きなM先輩という人が居て、この先輩の作るモデルも本当に半端ない!鈴木卓矢くん(現Blizzard)の師匠にあたる人なんですが、このM先輩からも僕はモデラーとして多大な影響を受けましたね。
P先輩、M先輩、林さん、帆足さんこの4人と仕事、交友を持てたことで、僕のモデラー、テクスチャーアーティストとしての基礎が築かれて行きました。
また、僕がここで最初に携わったのは、FF13Versus(開発中未発売)のプリプロダクションでした。このプロジェクトのモデリングセクションはP先輩がスーパーバイザーで僕がリードというポジションでした。このプロジェクトのモデリング、レンダリング周りののプリプロは、当時、ほぼ二人だけの作業でしたね。
この時、別にFF7ACCというプロジェクトも走っていたのですが、僕と先輩はプリプロをやりながら、FF7ACCをサポートするような形で仕事をしていました。
今思い返せば、この時期が一番楽しく、僕がVWで充実していた時期かもしれませんね。。。。
そして、この時期に僕はもう一人忘れてはいけない人物と出会います。おそらく、この人との出会いが無ければ、僕は海外就職を考えなかったかもしれません。。。そん人物との出会いは、また次回♪
本当は最終回にしたかったんですが。。。やはり僕のVW時代を語るには、3部では少なすぎました。。。なので、次回こそ!最終回!!の予定は未定wをお楽しみに♪
次回は僕が結婚、出産を経て、どう考え方が変わり、VWを去る決意をし、海外就職をなしえたか???その辺について紹介したいと思います。
この時「腐ってても自分が損するだけ出し、誰にも良い事はないよ。」っと言ってくれたのはP先輩でしたね。それからですね、僕の気持ちが再び奮い立ったのはw
そして契約形態も契約社員から正社員へと変わったのも、この時期だったと思います。
そんな中、僕が新しいプロジェクトに携わる前に、僕の概念、考え方を大きく成長させてくれたイベントが行われました。林隆之さんのTexture講座(名前はうる覚え。。。)です。この林さんの講座を聞いて、僕のモデリング、テクスチャーに関する考え方、概念は大きく成長することが出来ました。実際に自分でも目に見えてモデリングやテクスチャーのスキルが向上したのがわかったほどです。この講座(林さんと一緒に仕事をしなかったら)が無ければ、今の僕は無かったかもしれません。それほど僕にとって有意義な講義でした。
そんな林さんの講座を受けて、しばらくしてからのことです。帆足剛彦さん(PicaPixsels)と一緒にPhotoShopWorldという、Addbe主催のイベントでPhotoshopの使い方について、講演することになったのです。これは林さんの教えを多くの人に伝えるチャンスだ!!っと僕は思いましたねw
そんな林さんの教えを受け継いだ(受売り)TIPSがこちらです。
Texture Mapping 基本編
Texture Mapping 応用編
この時、帆足さんとはすでに面識も交友もありましたが、VWで実際に仕事で絡むことはほとんど無かったので、今考えるとスクウェア時代に一緒にやった最初で最後の仕事かも知れないですね。
帆足さんは僕と同じ職種のモデラーでしたが、僕とは正反対のタイプといって言いと思います。同じメカ好きではあるのですが(笑
僕はどちらかと言えば理詰めで仕上げていくタイプなんですが、帆足さんは自分のセンスと経験で仕上げていくタイプでしょうね。僕は芸術的なセンスという部分では、人並み程度だと自己分析しているので、こういったセンス溢れるモデラーさんというのは初めてでした。それだけに今でもモデラーとして尊敬できる良い先輩。同じ妻子持ちでもあるし、色々と公私共にお世話になってます。
そして、もう一人VWにメカ好きなM先輩という人が居て、この先輩の作るモデルも本当に半端ない!鈴木卓矢くん(現Blizzard)の師匠にあたる人なんですが、このM先輩からも僕はモデラーとして多大な影響を受けましたね。
P先輩、M先輩、林さん、帆足さんこの4人と仕事、交友を持てたことで、僕のモデラー、テクスチャーアーティストとしての基礎が築かれて行きました。
また、僕がここで最初に携わったのは、FF13Versus(開発中未発売)のプリプロダクションでした。このプロジェクトのモデリングセクションはP先輩がスーパーバイザーで僕がリードというポジションでした。このプロジェクトのモデリング、レンダリング周りののプリプロは、当時、ほぼ二人だけの作業でしたね。
この時、別にFF7ACCというプロジェクトも走っていたのですが、僕と先輩はプリプロをやりながら、FF7ACCをサポートするような形で仕事をしていました。
今思い返せば、この時期が一番楽しく、僕がVWで充実していた時期かもしれませんね。。。。
そして、この時期に僕はもう一人忘れてはいけない人物と出会います。おそらく、この人との出会いが無ければ、僕は海外就職を考えなかったかもしれません。。。そん人物との出会いは、また次回♪
本当は最終回にしたかったんですが。。。やはり僕のVW時代を語るには、3部では少なすぎました。。。なので、次回こそ!最終回!!の予定は未定wをお楽しみに♪
次回は僕が結婚、出産を経て、どう考え方が変わり、VWを去る決意をし、海外就職をなしえたか???その辺について紹介したいと思います。
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