2011年4月27日水曜日

【CG】 Roots 会社-スクウェア編 中編

無事に休暇を終え、家族とのひと時も充分に楽しんだのでシドニーに戻ってきました。
今回は前回の続きで、僕がスクウェアという会社でどういった人と出会い、影響を受けたかというお話の続きです。

FF12の仕事も終盤に差し掛かって来た頃の出来事です。当時、お世話になっていた上司とディレクターにミーティングに呼ばれ、参加してみると、それはFF13開発に向けたプリプロダクションのお話でした。
FF12の仕事自体は終わりも見えていたので、それはごくごく自然な流れだったのかもしれません。ただ、僕自身がプリプロからプロジェクトに参加させてもらえるとは思っていなかったで少々驚きました。当時、プリプロのメンバーは各セクションの代表4、5名から始めた記憶があります。各セクションの代表は1名から2名程度で、次世代機(HD対応)に向けたプリレンダリングの仕様やR&D、様々な検証を行いました。
1年半程度しか、VWで経験の無かった僕にこうったチャンスをくれたディレクターにはすごく感謝していますが、当時の僕には今ほどの知識も経験もなく、今思い返せば少々荷が重かったのかもしれません。

モデリングでどこまでディティールを詰めるか?サブディヴィジョンサーフェースを使うか?使わないか?などなど、僕は特にモデリングとテクスチャー、レンダリングに関する部分のR&Dを中心に検証していましたが。。。。 当時モデリングテクスチャーの技術にそれなりの自信を持っていましたが。レンダリングに関しては素人同然でしから。。。

FF12が完全に終了し、徐々にR&Dメンバーも増えていき、作業は順調の様に思えましたが、僕自身は何度作り直してもOKをもらえない。検証結果も出せない。E3に向けて納期は迫ってくる。徹夜続きで家にも帰れない。精神的にも肉体的にもかなり疲弊していました。
この頃の現場は、疲弊はしていましたが、モチベーションは決して低くなかったです。夜中に色々と意見交換したり、気分転換にご飯食べに行ったり、現場の雰囲気としては悪くなかったと思います。

ただ、こういった生活が数ヶ月続き、僕の中で何か緊張の糸が切れたというか、何かが弾けたと言うか。。。大好きだったCGが嫌いになりそう?そんな感覚で「E3が終わったらスクウェアを辞めよう」っと僕は思いはじめました。丁度、この頃は入社して3年目ぐらいだったと思います。何とか無事にE3を終え、辞める時期をうかがっていた頃だと思います。

E3 2006 FianlFantasy13 Trailer
そんな最も僕が駄目だった時期のトレーラーw 僕が主に担当したのはプリレンダー部分の背景とOPに登場する列車のモデルリングとテクスチャーです。たしか列車は外装だけで200万ポリゴン超えてたと思います。ネジやビス、金網など細部まで全部モデリングで作ってあるのでw ちなみにレンダリングは人生で初のレンダーマンでしたね。この頃は。

この頃は特に次のことなどは全然考えていませんでしたが、とにかく辞めたい!辞めたい!そんな毎日でした。特にこの時期は僕がCGを生業としていた人生の中で、僕自身が一番腐っていた時期だと思います(苦笑

そんな中、腐った僕に声を掛けてくれたのは、スクウェアで最もお世話になっていたP先輩でした。P先輩はFF12を終えて、僕とは別のプロジェクト働いていたので、色々と話を聞いてもらったりしていましたね。今思うと、本当に懐かしいw

それで僕は結局、FF13のプリプロが終わり、FF13がポストプロダクションに入る段階で、人事異動の兼ね合いもあり、P先輩の居るプロジェクトで僕は働くことになりました。ここからですね、僕がスクウェアで最も影響を受けた人たちと仕事をして、自分自身が急成長したのを実感できたのは。

いよいよ次回は後編最終回です(笑
僕がどういった出来事をきっかけに急成長したのか?どういった人たちから影響を受けたのか?どういったきっかけでスクウェアを去ろうと思ったのか?
気になる方は次回をお楽しみに♪

2011年4月15日金曜日

【CG】 Roots 会社-スクウェア編 前編

10日ほど休暇を取ったので、明日から一時帰国して日本で家族と休暇すごすのが楽しみです。4ヶ月ぶりの妻子との再会今から楽しみですね♪

さて、今日は前回の続きです。僕がスクウェアに入社して、退社するまでの物語(?)です。まず、僕がスクウェア(ヴィジュアルワークス以下VW)に入社して、一番初めに携わった作品はファイナルファンタジー12でしたね。この作品には一年ほど携わりましたが、この作品があったからこそ今の僕があると言っても過言ではないぐらい、多くの人との出会いを与えてくれた作品です。

おそらく僕がスクウェアで最も仕事でお世話になったのは、入社してから6年間ずっと一緒に仕事をさせてもらったP先輩ですね。以前、勤めていた会社での実務経験は3年半あったもののその会社はMAXメインだったので、入社した当初はMayaを触ったことがなく、右も左もわからない状態でした。その時、色々と会社の仕組みやツール絵作りについても色々と教えてもらった記憶があります。今思うと懐かしい良い思い出ですね。Mayaやモデリングに対する基礎知識のほとんどはP先輩から教えてもらった物ですね。またFF12というプロジェクトは本当に色々な人との出会いも与えてくれました。

Blizzardで活躍しているモデラーの鈴木卓也くんや同社FXアーティストの@PutonさんもFF12というプロジェクトで知り合った戦友ですねw半年ほど僕の方が後からの入社だったんですが、ほぼ同期入社でしていくつかのプロジェクトを一緒に過ごした今でも連絡を取り合う良き同僚です。

そして、僕にとってのモデリング、テクスチャーに対する概念、考え方を変えさせてくれた、今の僕に最も大きな影響を与えた人物はFF12で一緒に仕事をさせていただいたマットペインターの林隆之さんですね。林さんはスクウェアUSAでFFザ・ムービーにも携わっていたマットペインター兼テクスチャーアーティストです。

山崎貴監督と同級生でもあり、現在は邦画を中心に国内で活躍されている超一流のマットペインターです。僕のPhotoshopWorldに記載してある考え方や物事の捕らえ方、概念的なものは、ほぼ林さんからの受け売りです。本当に僕が海外でSurfacerという仕事に就けているのは、林さんとの出会いがあったからだと思います。細かいテクニックよりも、テクスチャーを描く上での捉え方、考え方を教えてもらいました。海外で働く今でも林さんと一緒に仕事できたことが大きな財産になっています。また、どこかで一緒に仕事が出来ればな~~っと思えるぐらい、公私共々お世話になりましたね。

今ではほとんどの方が退社されてますが、スクウェアUSA帰りの方々と一緒に仕事が出来たのも、このFF12というプロジェクトのおかげでした。

その後、FF12を経てFF13に携わることとなるのですが、そのあたりのお話はまた次回。スクウェアでの経験は本当に僕のCGアーティストの基盤を作ってくれた仕事、出会いが多いので、とても一回では語りきれませんねw ということで、続きは次回。お楽しみに♪

2011年4月3日日曜日

【CG】 Roots 会社-前編

さて、今日は僕が今までに通った学校、会社などを紹介しながら、どのように人たちと知り合い、どのような影響を受けて、今に至ったかを紹介したいと思います。 僕がはじめてCGという存在を知ったのは映画という媒体を通してだったのですが、自分がコンピューターを使って、はじめて何かを作ったのは専門学校に入学してからでした。

僕が通っていた専門学校はコンピュータ総合学園HAL大阪校の4年制のマルティメディアコースに通っていました。当時はCGと言うよりは、コンピューターについて学ぶという認識の方が強かったかもしれません。まだ、この頃はCG映像と言う分野が、現在ほど確立されていなかったので、多くの人がゲーム、マルティメディア学科に流れて、CG学科を選考したのは十数名ったと記憶しています。

HALを卒業して未だに業界で活躍している同級生は数名ほどしか居ませんが、時折、連絡を取り合い、お互い刺激しあったりしてます。 その後、僕は大阪にあった小さな映像プロダクションとは名ばかりの印刷会社、株式会社テムプロのマルティメディア制作部に就職しました。ここではHALの同級生3名が就職したのですが、映像関係に仕事に就いたのは、僕を含めて二人だけでした。この当時は3D studio MAXといソフトを使って、主に建築関係のCGを作成していましたが、この頃はCGを仕事にしているだけで楽しかった気がしました。ただ、仕事に関しては長時間労働で安月給でしたね(笑)

勤めて2年ほどして、同期だった同級生がDML大阪支社に転職したのを気に、僕の中でエンターテイメント性のある仕事がしたい!という気持ちが芽生え始めました。この同級生は今では、DLM大阪支社でディレクターをしています。

僕は元々映画やゲームが好きだったし、この頃はスクウェアUSA(ホノルルスタジオ)でCGで作られた映画!と言うのがTVや雑誌で非常に注目を集めていましたし、FF7の影響でゲームも3D化の波が押し寄せていましたから、僕にとって非常に興味深い分野でした。 その後は、1年半ほど自分のスキルを磨きつつ、転職の道を探していました。そんな時ですね、大きな転機が訪れたのは。ちょっとした機会があって、東京で働いているアーティストの人たちと会う機会がありました。これが僕にとって大きな転機となりました。この出会いが僕に上京を決意させました。

東京への上京を決意し、色々な会社を中途採用で受験しましたが、最終的にはSQUARE-ENIXをいう会社を選択しました。いくつかの会社から内定を頂いたのですが、当時のSQUAR-ENIXは日本でも最高峰のCG映像専門の部署、VISUAL WORKSという部署がありました。これが僕の決め手になりました。ホノルルUSAからの帰国したアーティストも多く、自分自身のスキルを更に磨き上げる事が出来ると思ったからです。

SQUAREでの6年間が僕のCGを生業とする上で、非常に多くの人との出会いを与ええてくれたし、非常に多くの影響を僕に与えてくれました。次回はSQUAREで僕がどういった人たちから影響を受け、どういった経緯で海外を目指したかを紹介したいと思います。