2015年6月16日火曜日

【CG】 動機の変遷 中編

さて、前回に引き続き、働く動機の変遷についてご紹介したいと思います。
前回までは学生時代から就職、転職を経て国内での動機の変遷について紹介させて頂きました。

【CG】 動機の変遷 前編

今回は国内を飛び出して、海外就労時の動機の変遷を紹介したいと思います。

ヴィジュアルワークス在籍時の退職直前時期は、とにかく家族と仕事の両立を実現でき、なおかつよりレベルの高い環境、アーティストと働きたい!!!そういう思いが本当に強かったです。 そして、そんな思いが実現できるのは海外しかない!!そう思い込んでいました。また、日本で働くよりも家族で海外に住む方が、家族、僕自身にも良いことだと当時は思っていました。

しかし、実際に海外に出てみると、問題は山積みです。1歳2ヶ月の長男に妊婦だった妻を連れての海外移住。
文化の違いや英語の壁。働く以前に安定して生活をするということが、そもそも大変でした。しかし、そんな大変な生活も徐々に環境になれ、馴染むことができれば、海外に出てきて本当に良かった!シドニーの素晴らしい住環境、労働環境、技術力の高いアーティストに新しい出会い。何もかもが日本では絶対に経験できない素晴らしい経験でした。

僕は今後もずっとシドニーで働ければ、、、そんな淡い期待を抱いていました。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。プロジェクト終了と同時にスーパーバイザーも含めたチームの解散。就労先を探すための就職活動。VISA依存による契約のため、契約の終了は強制帰国を意味します。

しかし、僕はそれでも海外で働きたい!!そう思っていました。理由は単純です。とにかく一緒に働く同僚のレベル、スキル、知識が高い。
(誤解してほしくないのですが、皆がすべてレベルが高い訳ではなく、ごく一部の人がとてつもなく優秀なのです。)
日本ではありえない経験の連続。 労働環境。価値観の違いなどから、僕はどうしても海外就労を続けたいと思うようになっていました。
しかし、妻は第二子を出産直後でしたし、たとえ海外就労が決まっても、次は単身での海外移住と言うことはわかっていました。そして、そんな中、シドニーのDr.D Studiosからオファーが届きました。

僕は海外就労と家族との時間を天秤にかけ、海外就労を選びました。この時点で、私が目指したワークライフとファミリーライフのバランスは完全にワークライフ一色となり、本来の海外就労の目的であったファミリーライフとワークライフの両立という目標からは大きくかけ離れる結果になりました。

もちろん、短期契約だったということもあり、単身での移住を決断したのですが。。。このころから僕は漠然と海外で働きたいという目標から、WETAやILMなど世界で最高のアーティスト、技術者が集まる環境で働きたいと思うようになります。

無事にDr.Dとの契約を終え、数ヶ月家族と日本で過ごすこととなりました。この期間、フリーで少し仕事をしていましたが、実質的には無職です。この時期はいままで過ごせなかった家族との時間を過ごす、そして応募した海外スタジオからのオファーを待つ状況でした。そして、自分の中で期間を設け、年内に海外スタジオからオファーが得られなかった時は、国内で家族と一緒に過ごそう。その代わり、海外スタジオからオファーが来れば、どんな国であれ、家族で一緒に再度、海外移住をするという決断を妻に認めてもらい、ひたすら海外スタジオからのオファーを待つ日々でした。。。。

応募したいくつかのスタジオから連絡があり、インタビューすることになったのは無職を続けて2ヶ月目ぐらいでしたね。念願のWETAからのインタビューです。後を追うようにDNEGからもインタビューの連絡が来ました。この当たりは、こちらのエントリーを読んでいただき、ここでは割愛させて頂きます。

【仕事】 SingaporeとDouble Negative  

そして、結果的に家族でのシンガポール移住を決意し、結婚後、もっとも長い3年間という期間をシンガポールで過ごすことになります。

<前編の動機の変遷まとめ>
単純に興味がある→ 3DCGが好きになる→自分で作ってみたいと思う→仕事にしたいと思う→安くて辛くても好きなこと出来れば満足→現状に満足できなくなる→エンターテイメントの仕事がしたい→日本で最高峰とい言われる職場で働けて満足→徐々に満足できなくなり、より自分が納得できる環境を捜し始める→中編に続く

<中編での動機の変遷まとめ>
自分が捜し求めていた環境にめぐり合う→新しい出会い、理想の環境、海外就労の継続を望む→ VISAの問題による海外就労の中断→家族との時間を犠牲にした海外就労継続の決意→WETAを筆頭にした海外大手プロダクションへの憧れ、就労を目指す→家族での国内残留か家族での海外移住かの決断を迫られる→海外就労の継続、家族でのシンガポールへの移住を決意→理想に近いワークライフとファミリーライフのバランスを実現させる→後編へ続く

っト言うことで中編の終了です。後編は理想に近いワークライフとファミリーライフのバランスを実現させ、目標でもあった実写映画、大手海外スタジオでの就労などを経て、海外就労の大きな目的を達成した私自身が、どういった気持ちの変化で帰国を決断し、福岡でオフィスを開くことになったのか?後編ではその当たりの変遷について、ご紹介出来ればと思っています。


2015年6月2日火曜日

【CG】 動機の変遷 前編

さてさて、毎度の事ながら前回のエントリーから、ずいぶんと時間が経過してしまいましたが、久しぶりのエントリーです。
今回のネタはすごく前から、書きたかったネタなんですが、本当に4月以降は時間が作れず、なかなか書く機会がなかったのですが、今回は少し時間を割いて、書いてみたいと思います。

お題は「動機の変遷」です。何をするにも「動機」と言うものがあると思います。例えば、この業界に入って大作に関わりたいとか、クレジットに名前を載せたいとか、海外で働きたいとか、本当に千差万別、色々な動機が、それぞれにあると思います。

そして、それらの動機は人それぞれだと思いますが、どんどん変っていきます。今日は1つの例として、僕のCGに対する動機がどのように移り変わっていったのかを紹介したいと思います。

まず、CGをはじめる最初のきっかけは単純に、これからはパソコン触れないと食べていけないだろう!!!っていう単純な動機からコンピューター総合学園HAL大阪校に通うことを決意しました。

その後、ファイナルファンタジー7(PS)をプレイし、そのムービーに衝撃を受け、3DCGをはじめて自分で作ってみたいと思う。(この時点では趣味の領域を出ることなく、仕事にしたいという思いはない。)

その後もどんどんクオリティが上がるCGムービーを目にすることで、3DCGでご飯が食べたい!これを仕事にしたいっと決意することになった。

働き始めた当初は、好きな仕事でお金がもらえる(当時は大阪の小さな映像プロダクションで賃金も決して高いといえなかったし、エンターテイメントCGとは程遠い建築パースの仕事をしていた。)それだけで、満足できていいました。

しかし、勤続して2年が経過し、徹夜もしばしばある、賃金もそれほど高くない環境に満足できなくなってきている自分が居ました。そんな時、同級生の同僚が会社を辞めて、別のエンターテイメント系の会社に転職したのをきっかけに、当時勤めていた会社から、よりエンターテイメント性の強いゲーム会社や映像会社で働きたいと思うようになりました。

当時は必死で仕事の合間に個人作品をつくりためていましたね。ただただエンターテイメント系の会社で働きたい一心でしたね。エンターテイメント系の会社であれば、賃金は関係ない。とにかくエンターテイメントの仕事がしたい!!ただ、それだけでした。そして上京を決意しました。よりエンターテイメント性の強い会社は東京に集中していたからです。

いくつかの会社に応募して、いくつかの内定を得ることが出来ました。働き始めて初めて自分が選択できる立場になったのです。そして、当時、ファイナルファンタジームービーやファイナルファンタジー10などで、プリレンだリングを主体とした映像専門の部署があるスクウェアエニックスに転職することを決意しました。

当時は何もかもが新鮮で、周りにはレベルの高い人たち。新しいソフト。新しい土地、新しい環境、初めての1人暮らし。ほんとうに右も左もわからない状態で必死でした。特に仕事は他らしいソフトを覚えたり、周りとのレベルの差に危機感を覚えつつ、本当に大変でしたが、すごく辛くも楽しい日々でした。僕がもっともデジタルアーティストとして成長できたのはこの時期だったっと思います。
収入も年々上がっていきましたしね(^_^;)

しかし、そういった状況にすら満足することは出来ませんでした。。。徐々に仕事に慣れ、結婚や出産と言う転機を得て、一度きりの人生、とにかく自分のやりたいことがやりたい。やっておきたい!っていう気持ちが強くなりました。
(正直、職場を変えたいという気持ちも当時はありましたが。。。。このころは本当にいま思うと色々なことで葛藤していました。)

そんな中、色々な人から海外の話を聞き、世界最高峰(技術的に)とされる、ハリウッド映画に関わってみたいという気持ちが強くなる一方で、家族のために生活を安定させ、収入を安定させないといけないという葛藤が生まれまじめたのもこの時期からでした。。。。 (後編へ続く

っという感じで、長くなりましたが動機の移り変わりについて、前半をまとめてみました。

単純に興味がある→ 3DCGが好きになる→自分で作ってみたいと思う→仕事にしたいと思う→安くて辛くても好きなこと出来れば満足→現状に満足できなくなる→エンターテイメントの仕事がしたい→日本で最高峰とい言われる職場で働けて満足→徐々に満足できなくなり、より自分が納得できる環境を捜し始める→後編へ続く


ここまででも動機がどんどん変っていっていることが解ると思います。後編は海外に出て、帰国して、自分がオフィスを運営する立場に至るまでの変化を紹介できればっと思っています。